戦争と平和の資料館「ピースあいち」への訪問活動をメインとした平和新聞作りへの取り組み
名古屋市立猪高中学校  西田 義弘

                                           
 

はじめに

 私は3年前に名東区の中学校を最後に定年退職して3年目となります。今年度4月から名東区の猪高中学校に勤務することになりました。16学級の全校生徒600名ほどの学校で、私は現在1年生6クラスの社会科をもう1人の先生と担当しています。学区と隣接した場所に「ピースあいち」があり、「戦争と平和の資料館「ピースあいち」への訪問活動をメインとした平和新聞作り」の実践を是非やってみたいと思いました。

展覧会場の様子1

平和新聞

 

 一緒に組んでいる先生も是非ということで、今年の夏休みの課題として取り組むことになりました。嬉しいことに私たち1年生の社会科の取り組みを見ていて、2年生を担当している若い社会科の先生も取り組みたいということになり、1・2年生で取り組むことになりました。(3年生はすでに夏休みの課題を決めていました。もう少し早く取り組みを社会科全体で共有していたら、全校的な取り組みになったのにと、少し残念に思っています。)
 本来なら近現代史を学習していく2年生、3年生の課題としてふさわしい気もしますが、名古屋市は非正規のフルタイム講師(常勤講師と呼びます)は、原則1年で任用を切るために、現状では来年度猪高中学校で働けないために、ラストチャンスということもあったからです。

 

なぜこうした取り組みを? 「身近にこんな素晴らしい平和資料館があるのに」 

 学区に隣接した場所にあるため、どのくらいの生徒が「ピースあいち」のことを知っていて、見学に訪れたことがあるのだろうと、授業の中で子どもたちに聞いてみました。すると「ピースあいち」を知っているという生徒は、さすがに他の勤務校で勤務した時よりは多く、しかしそれでも各クラス10人程度。では実際に見学に行った人はとなるとクラスで数名、全体の1割程度という衝撃的な数字でした。
 2年生を担当している社会科の先生に聞くと、傾向は同じで、しかも実際に見学に行ったことがある生徒は転入生が多いということでした。これは以前「ピースあいち」のスタッフの方から、「地元の若干の学校からの訪問はあるが、市外からの学校の訪問が多い」という説明と合致していると思いました。

生徒の実態から タイムリミット

 現在の中学生は、「戦争体験者から直接話が聞ける最後の世代」と言われ、そのことをずっと言い続けてきましたが、現場実感から言うと、いよいよタイムリミットを迎えているなと。生徒の祖父母は、もうすでに戦争体験がありません。若干の生徒が曾祖父母から聞いたことがあるというのが実態です。

道徳の教科化と平和教育の危機

 2018年度から小学校で、2019年度から中学校で道徳が教科化されました。私は市民的道徳を子どもたちに身につけることは賛成ですが、道徳の教科化には反対です。なぜなら道徳の教科化はかつての「修身」教育の復活だからです。
 道徳の教科書は古い価値観に基づいた教材ばかりで、もちろん平和教材はほとんど皆無に近い状態です。そしてその道徳教科書の使用への現場統制が強まっています。「戦争は最大の人権侵害」「平和こそ最高の道徳」と言われますが「平和教育」を大切にしようという空気は、現場からも行政からも聞こえてきません。
 5月3日、8月6日、8月9日、8月15日を知っている生徒は年々減少しています。今年教室で「6月23日は何の日か」という質問に対して、「沖縄慰霊の日」と答えることができた生徒は、何と6クラスで1人でした。その子は家族で沖縄へ旅行し、平和資料館を見学してきたという生徒でした。大変衝撃的な数字だったので、1学期最後の社会科の授業は「沖縄の特別授業」を行い、夏休みの課題「「ピースあいち」を見学しての平和新聞づくり」を具体化しました。

軍歌を聴くと心が踊る

 授業で爆弾三勇士の話をした時に、「僕は軍歌をいつも聴いています。軍歌を聴くと元気になれるんです。」はだしのゲンのアニメを見せた時は、「北朝鮮にも落としたら。日本は核兵器をもつことが必要。」と。また、「日本は断固移民を受け入れるべきではない。」などなどの声が出され驚きました。
 SNSの普及にともない、そういった考えを持つ中学生が少しずつ増えてきているという傾向は全国的にも、また市内の先生からも報告は受けてきていましたが…、自分の担当しているクラスでそうした生徒を担当した時は驚きでした。こうした実態は何も中学生に限らず、ヘイトスピーチなどにみられる日本がかかえる闇の部分だなと。しかし決して軽視してはならない課題だと思っています。

 

最後に 継続されるように

 私は猪高中で勤務するのは今年度3月までですが、来年度以降もこうした取り組みが継続されるように同僚に働きかけていきたいと思います。
 今回の取り組みでは、350枚を超える「新聞」が集まりました。「戦争」と向き合った生徒たちの一枚一枚に込められた想いを大切に、校内でも展示したいと思っています。



生徒の感想から
〇戦争とは空襲を受けるイメージがあったが、新聞を作ってみて沖縄やサイパン島のことなどとても身体的にも精神的にもつらいことがおきていたことがわかった。
〇興味深い資料がたくさんありおどろいた。少し怖くなったけど、調べがいがあり、ノートに書きこみました。
〇僕は小学生の頃、戦争について自分から知ろうとしませんでした。理由はひどい過去の出来事に対して、知ろうと思わなかったのです。「僕達の世代が戦争体験者から実際に話を聞ける最後の世代」という言葉が戦争について知ろうと思った理由の一つです。
〇当時の少女たちも可愛いものや美しいものが好きでした。「少女の友」という雑誌があったそうです。いつの時代も女の子は変わらないんですね。空襲によってたくさんの少女たちの命が失われたことにすごく悲しい気持ちになりました。
〇戦争のことをおじいちゃんに電話して聞きました。いろいろしゃべってくれたので、録音しました。