戦後75周年プロジェクト 語り継ぎ手ボランティアの研修会が終わり
運営委員・研修会リーダー 熊本 典生
7月18日の研修会
昨年10月に始まった研修会が7月18日に最終回となり、定期的な研修会活動は一区切りとなりました。 これは、ピースあいちがこの十数年の間に収録・記録した戦争体験者の証言を語り継ぐことを大きな目的の一つに据えて始まった研修です。研修者17名の参加動機は、人それぞれでした。
そんな皆さんの背中を押したきっかけの一つは、体験者のみなさん(またはご家族)と直接、間接(オンラインなど)に言葉を交わしたことだったようです。ある参加者は、体験者との面談(オンライン)を果たした後には、その方が描いた体験図の解説から証言の選び出し、そしてシナリオ作りまで熱心に仕上げられました。模擬の発表では、原稿に目を落とすこともなく、力強く語るその姿に多くの参加者が驚きの声をあげました。試みにと行った語り継ぎでも、それほどに説得力がありました。
また参加者の中には、家族の戦争体験を語り継ごうと大切に温めている方々がいました。体験者の皆さんが語り始めるまでに長い時間が必要だったように、家族であっても気持ちや状況が整理できるまで時間が必要です。
そんな証言の一つとして取り組まれたのが、被爆されたご主人を終戦直後に看取られた夫人が残された手帳の記述でした。そこには悲しみ、憤り、そして何よりも看取らなければならなかったご主人に対する深い愛情が率直な表現で書き記されています。そのようなとてもプライベートで貴重な家族の記録を語り継いでくれたその姿、声はご本人が目の前にいるようで、映画のように私の目の前に看病の様子が浮かびあがりました。このような語り継ぎに出会えたことに深く感動しました。語り継ぎを決心されたことに心から敬意と感謝を表します。
被爆体験は、体験者に対する敬意と語り継ぎへの熱意を持っていても、そんなに容易に取り組めるものではないでしょう。今も多くの被爆者が語ろうとしない、その背景、気持ちをしっかり受け止めなければなりません。ヒロシマで行っている研修が1人の語り継ぎ手の育成に3年間もの期間を要する理由は、そこにあるのかもしれません。ピースあいちでも勉強を重ね、残された証言を必ず語り継いでいきます。
石原隆さんの被爆体験の語り継ぎを試演する加藤なの葉さん
若い参加者の姿にも、励まされました。修学旅行で被爆者の語りを聞いたことやクラブ活動で出会った合唱曲が語り継ぎに誘ったという方がいます。また戦争の恐ろしさを知らないで大人になることが怖い、勉強がしたいと参加された方もいます。ピースあいちのシナリオにこうした若い方たちの視点が加わることで、親しみやすく広がりのある語り継ぎにどんどん進化していくのではと大いに期待します。
語り継ぐためには、いったい何が必要だろうか、何を勉強してもらえば良いか、加害の歴史とはどのように向き合えば良いのかと研修会を始める前に漠然と考えていました。語り手である体験者の皆さんとの交流、地域の戦争史を研究している教師の方の講演などなど、私の考えはそこまでのものでした。そんな稚拙なリーダーにもかかわらず、参加者の皆さんは自らの言葉で証言を語り継いでいこうと一生懸命に努力を積まれました。頭が下がります。
この研修会に参加したことで一人一人の気持ち、考えが前に進み、証言の語り継ぎにまで昇華できたならば、戦争と平和を考え続ける場・ピースあいちにとって、これ以上の成果はありません。これからもピースあいちという場を最大限に活用して、語り継ぎの勉強を継続できるよう、微力ながら皆さんと同じボランティアの一員として頑張りたいと思っています。
この研修会はピースあいち語り手の会、語り継ぎ手の会ほか、ボランティアの皆さんにスタッフとして参加いただくことで実施できました。皆さんに感謝申し上げます。そしてオンラインの研修にご自分のパソコン複数台を毎回提供いただいたばかりか、ZOOMの管理を全て引き受けてくれた参加者の原田貴之さんに心から御礼申し上げます。