わたしたちのまちにも戦争があった◆九条の会ちりゅう・14周年の記念の会常設展示から
九条の会ちりゅう 大野克良
12月19日(土)、「わたしたちのまちにも戦争があった」(主催 九条の会ちりゅう)をテーマに14周年の記念の会を知立市中央公民館講堂で催しました。ピースあいちと愛知・名古屋戦争に関する資料館の協力で戦争体験のビデオ放映とパネル展示が行われ、50人近くが参加しました。
「広島被爆体験・井上葉子さん」のビデオ上映で井上さんは、出産のため実家にいたときに原子爆弾投下で吹き飛ばされて、気が付いた時には母親も倒れていた。傷ついた体で20キロ先の親戚の家まで母親と歩いて向かったこと、途中には何十人もの死体が川に浮いており道すがら目の玉が飛び出た子どもが目を押さえて泣いており、それらをなるべく見ないように、何時間もかけてたどり着いた。その後も家族がガンなどの後遺症に悩まされ続けたという体験を話されていました。
アンケートでは「被爆者井上さんが被爆当時の恐ろしさを語ってくださいました。原子爆弾の恐ろしさはずっと伝えたいと思った」など、多数の感想が寄せられました。この他午前三本、午後二本の戦争体験ビデオが上映されました。
当時名古屋市の矢場町近くに住んでいた鈴木さんからも当時の状況を語っていただきました。
「本土空襲が本格化してから額田の親戚へ疎開したこと。その田舎でも米軍戦闘機が機銃掃射しながら通り抜けた。岡崎空襲のときは、西の山の空が夕焼けのように赤く染まり、バンバンという音が地響きのように鳴りとても恐ろしかった。戦争指導者たちは公職追放から解除されるや政財界に復帰し、鬼畜米英から米国追従の道に転換した。自分の少年時代はみな貧しくつましかった。この時代環境がそれぞれの人生にさまざまな影を落としたことは間違いない。(手記より)」と。
また、会場に貼られた 「名古屋空襲」「建物疎開」「学童疎開」などのパネル展示物を参加者はじっと見ていました。