◆2020年の映画 私の一本「マルモイ ことばあつめ」韓国映画
ボランティア 長谷川 保郎

                                           
   

 昨年は週に3日は映画を見に行っていた。140本は見たと思う。ところが今年は新型コロナ感染拡大で、何と40本ほどしか…。映画館が閉まっていた4・5月はもちろん行けなかったし、11月以降も行けていません。そんな中で、心に残った今年の一本。

展覧会場の様子1

「マルモイ ことばあつめ」のチラシ

 

 1940年代の京城(日本統治時代の韓国ソウルの呼称)。全国の各学校で朝鮮語の使用と教育が禁止され、国語の時間に日本語を教えていた時代。
 厳しさを増す日本軍の監視の中、なんとか自分たちの言葉を残そうと朝鮮語の辞書を作ることを計画し、各地の方言などあらゆる言葉を集める人たちがいました。
 言葉とはその民族の生活・文化・精神そのものです。それを否定する、奪おうということはその民族そのものを否定する、朝鮮人であることの根本を否定する、朝鮮人を朝鮮人でなくしてしまうという蛮行です。
 日本の民族精神消滅政策は朝鮮の人たちにとって、どんなに屈辱であったことか。加えて日本は氏名も日本名を強制しました。
 このことはひとりの人間の人格を否定し、その人の存在そのものをも否定するものです。日本は個人を否定し、その人の属する国家・社会・共同体をも否定しました。

 

 映画はひとりの人間でありたい、ひとりの朝鮮人として生きたいと願う人が、文字通り命を懸けて闘います。現実という壁にぶつかって夢みることさえ厳しい中にも、共に夢をかなえていく人が隣にもいるんだと教えてくれます。
 慰安婦問題も徴用工の問題もこの歴史的事実を正しく踏まえないため真の解決にはいまだ至っていません。1945年8月15日を境に「敵性語禁止」から「ギヴミーチョコレート」に変わった日本人の精神構造に「?」がいくつもいくつも私にはつくのですが…。