ときどき事務局だより◆夏企画 パンプキン展開催中の出来事
事務局次長 庭山 輝男
コロナ禍の中で延び延びになっていた模擬原爆パンプキン展が6月9日より開催され、8月29日をもって終了しました。そして高温対策として3階屋根裏の改装工事に入り、ピースあいちは9月末まで、臨時休館中です。
コロナ禍の関係で、例年とは違ったピースあいちの8月でした。
毎年恒例となっている8月1日から15日の「戦争体験を語るシリーズ」が中止になり、また学童保育所など団体での来館もお断りせざるをえませんでした。
来館者数が590人(昨年の1/5)と少ない月となりましたが、そんな中でも、南山大付属中3年の生徒さん約100人が夏休みの課題のためかじっくりと展示物を見、メモしている姿は例年と変わりない光景でした。20人近い生徒さんがバラバラに来られた日もありました。
また一方では10月、11月に団体で来られる予定の学校の先生の下見が例年では数校あったのですが、今年は1校だけと少なく、県外からの修学旅行の団体申し込みのキャンセルの連絡が入った8月でした。
オンライン「夏の戦争体験を聴くシリーズ2020」
(8月8日~10日)配信の様子
例年になくちょっと寂しい(?)日々でしたが、6月から7月前半にかけて、コロナ禍の戦後75年ということで、新聞社やテレビ局からの取材の申し込みや問い合わせのなんと多かった事か。
一日に5社からの電話問い合わせがあった日もありました。取材したい内容は、「模擬原爆パンプキンの展示について」、「コロナ禍の中で初めてトライしたオンラインの戦争体験の語りについて」、そして「戦争体験の語り継ぎ手(若手)育成の取り組みについて」が多かったです。
6月10日から8月26日までに新聞に載ったピースあいち関連の記事は24件、放送されたラジオは2件、テレビは7件もありました。おかげで、戦争と平和の資料館ピースあいちの知名度もグーンとあがったのではないかと思っています。
取材された内容をいくつか挙げてみると、語り手の会会員への取材(9人)はもちろんのこと、
①8月13日の中日新聞「戦地からの手紙 吾が最愛の妻子よ」という記事にボランティアの林和子さん、8月23日の朝日新聞に「走り書き「たのむ」父感じた、平和と向き合い「語り継ぎ手」に」という記事に服部忠一朗さんが取材を受け、紹介されていました。
②8月15日の毎日新聞に、伝えたい戦後75年の「平和への第一歩に」という記事で高校生ボランティアの藤田真悠子さんのことが、紹介されていたり、同じく8月26日の毎日新聞に、「戦争と平和若者が発信 資料館の学生ボランティアを取材」という記事で大学生ボランティアの角谷実紅さんと事務局長の赤澤ゆかりさんの取材記事が載りました。若手が活躍していく時代になってきたと実感しました。
③8月15日のTBSテレビで14時からの「終戦75スペシャル」にピースあいちのボランティアと寄贈品の紹介があったり、8月18日のNHK(東京)テレビで21時からの「ニュースウォッチ9」に宮原館長がでたり、ピースあいちも全国区になってきました。その中では、ピースあいちオンライン「夏の戦争体験を聴くシリーズ2020」の一日目8月8日に行われた語り手の都築基雄さんの戦争体験の語りの模様が紹介されていました。「模擬原爆パンプキン」は西日本新聞などでも紹介され、展示チーム長で運営委員の金子力さんが連日ピースあいちで取材を受ける、という週もありました。 8月も終わる頃、いくつかの高校からオンラインの語りの依頼がありました。ピースあいちでも次世代交流チームの会議がオンラインで行われており、9月10日に行われた運営委員会もオンライン会議形式に変わりました。コロナ禍を機に、新しいやり方を模索し、変革していくことが急ピッチですすめられていく時代になってきました。
もうすぐ後期高齢者を意識する年になりますが、高齢を理由に、知識不足、勉強不足に甘んじることなく、もう一皮脱皮して、新しい時代についていかなればと思う今日この頃です。
3階の屋根裏断熱工事の様子
天井に断熱材が入ってなかったため、夏は冷房の効き目が悪く、特に3階廊下は暑かった!
左/寄贈資料など2階1階に引っ越し 右/天井の化粧板を剥ぐ
左/ウレタンを吹き付け 中/断熱材を敷く 右/化粧板を貼る