企画展「模擬原爆パンプキン-市民が明らかにした原爆投下訓練」によせて◆島田市での調査と継承の取り組みー
元島田樟誠高校(当時校名は島田学園高校)教員 土居和江・小屋正文・小林大治郎
企画展「模擬原爆パンプキン―市民が明らかにした原爆投下訓練」は、マスコミにも大きく取り上げていただいています。パンプキン爆弾に取り組んでいる各地の方々もご来館くださり、新しい取り組みのお話を聞かせていただくなど、小さな交流もあります。メルマガ4月号よりこの企画展にご協力いただいた方からの投稿をご紹介しています。今回は静岡県島田市から。
島田市扇町にパンプキン爆弾が投下されたのは1945年7月26日朝のことだった。
1発の爆弾のために、即死者35人・重傷から死に至った人14人と記録されている。そのほかにも苦しみを抱え続けて長い戦後を生きた人たちがいた。
この1発の爆弾が原爆投下訓練のためのものだったと私たちが知ったのは、1991年のことだった。「春日井の戦争を記録する会」の人たちの指摘による。
当時、島田学園高校の社会科教員であった私たちは、1989年・1991年と、日本史授業で地元島田の戦争の時代を取り扱い、高校生と「島田の空襲」・「島田での電波兵器開発」・「島田の満蒙開拓送出運動」などについて地域の方からお話を聞かせてもらっていた。そんなとき(1991年6月25日)、静岡新聞に「終戦直前、島田市に一万ポンド爆弾 原爆投下訓練だった?」という記事が載った。「春日井の戦争を記録する会」の方たちが国立国会図書館で「米国戦略爆撃調査団報告書」を調査分析しての結論を、記者会見で発信されたのだった。
連絡を取った「春日井の戦争を記録する会」から、資料をいただいて、島田の場合についての調査を開始した。人家密集した市街地への投下であった島田では、体験した人たちが戦後も町内に住み続け、たくさんの証言が得られた。
パンプキン爆弾による空襲という、発見された事実を伝えるため、私たちは本を出版した(現在は絶版)。
扇町の人たちからも「あの空襲を知ってほしい」と島田市などへの働きかけが行われた。体験者が地元の小・中学校へ出かけて、子どもたちに体験を語った。
島田市は、住民の要望を受け、さまざまな取り組みを積み重ねている。
初代のゴム風船の実物大パンプキンのレプリカ。羽は黒くなっています。
○毎年8月15日に行われる「島田市平和祈念式典」で講演や朗読劇として島田空襲を取り上げている。近年は市内高校生の参画が話題となっている。
○「島田市平和記念式典実行委員会」が『島田市扇町・被爆の記録』を発行(2001年)。
○7月26日、扇町公園で「島田空襲被爆者慰霊のつどい」を開催する(2002年から)。
○毎年展示会も開催している。パンプキンの模型(ビニール製・風船)を製作して展示。
○2015年、島田市博物館で「島田と太平洋戦争-明日へと語り継ぐ願い-」を開催した。
劣化が激しくなってきたので、今年二代目のゴム風船レプリカが作られました。空気を入れる途中なので信管の部分には空気が入っていません。(写真提供島田市役所)
そして今年、
●劣化したビニール製パンプキン模型を修理改定し、8月15・16日にお披露目する予定。