企画展「模擬原爆パンプキン-市民が明らかにした原爆投下訓練」によせて◆田辺の模擬原爆活動報告
7.26田辺の模擬原爆追悼式実行委員会メンバー 吉村直樹
臨時休業をしていたピースあいちは、6月9日より再開、企画展「模擬原爆パンプキン―市民が明らかにした原爆投下訓練」も展示をご覧いただけるようになりました。メルマガ4月号より、この企画展にご協力いただいた方からの投稿をご紹介しています。今回は大阪市東住吉区田辺から。
1945年7月26日午前9時26分、大阪市東住吉区田辺の住宅地に模擬原爆が落とされました。当時、思い当たる大型爆弾として1トン爆弾と思われていました。戦後も47年経って、この爆弾が春日井の市民グループが探し出した資料により模擬原爆の一発とわかりました。自分たちの住んでいるところが広島・長崎の人類史上の大悲劇とつながっていることを知ったことは大きな衝撃でした。
模擬原爆の存在と、それが大阪にも落とされていたことはマスコミにも取り上げられ、自分のお父さんをその爆弾で失った方が追悼碑を建てられました。以降、「7.26田辺の模擬原爆追悼式実行委員会」の主催で、投下された日時に合わせて追悼式を行っています。追悼式は無宗教で模擬原爆の体験者、在阪の広島、長崎の被爆者、大阪の大空襲の体験者の方々が挨拶をします。
この近年の特徴は、小中学校の児童、生徒の参加が増えています。近隣の学校だけでなく大阪府内からの参加もあり、昨年は15校の参加でした。各校の代表が模擬原爆を通じての「平和へのメッセージ」を読み上げるのが追悼式のセレモニーとなっています。
広島、長崎の惨劇が教科書上のものでなく、模擬原爆を通じて身近なものとして捉え、平和の大切さを自分たちの言葉で表現してくれているのがメッセージから伝わります。模擬原爆投下の事実と追悼碑の存在が若い世代に平和の大切さを伝えるツールとなっています。
恩楽寺門前に移設された追悼碑
昨年の追悼式参列者は250人でした。追悼碑は昨年、投下地点近くの恩楽寺門前に移設されました。恩楽寺も模擬原爆の爆風で本堂が傾いたままでモニュメント的な建物です。追悼碑は大阪のまちガイドのポイントにもなっていて、追悼式以外にも人々が訪れます。
今年も7月26日(日)に追悼式を行う予定ですが、コロナ禍を配慮して3密を避けるため追悼式会場と参加各学校をインターネットでつなぎオンラインによる追悼式を行う準備をしています。