理事長就任にあたって
理事長 鈴木 秀幸
私が司法修習生(弁護士、裁判官、検察官の卵)の時代から、その後の45年余の期間、公害裁判、人権、平和、憲法及び司法問題を一緒に活動させてもらった先輩であり同志である弁護士野間美喜子先生、この類いまれな人、優秀で魅力にあふれた人が、あっという間に亡くなられて、まさに「巨星墜つ」という思いです。
そのような野間先生の後を継いで、とても荷が重いのですが、私が理事長を務めさせていただくことになりました。よろしくお願い致します。と同時に、野間先生を手伝われてきた娘さんの下方映子さん(医師)も運営委員になられました。
ピースあいちは、もとは、1993年8月に著名人39人が呼びかけ人になり、愛知県と名古屋市に対し、「戦争メモリアルセンター建設を呼びかける会」を発足させたことが始まりでした。
そして、その10年後の2003年4月発足の、「NPO平和のための戦争メモリアルセンター」設立準備会に発展しました。県、市は、資料館建設の報告書を採択しましたが、実行に移されない状況が続き、その中で、2005年4月、加藤たづさんから非常に多額な寄付の申出を受けることになりました。そこで、野間さんが、さらに仕事を犠牲にして奔走された結果、多くの人の賛同を得て、2007年5月に「戦争と平和の資料館 ピースあいち」が建設されました。その後、広く社会的に認知され、マスコミからも好意的に報道され、大いに発展してきたと思います。
ピースあいちは、戦争体験を承継し、平和を求め、希望を編み合わせる場所です。それを支える人々は、役員、運営委員、語り手の会の人々を含め、皆がボランティアで、その数は百数十人に達し、それがピースあいちの誇るべき最大の特徴です。日本国憲法の前文が謳う「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」人々の集まりです。
ピースあいちにいただいたお礼の葉書から
これまで反戦平和のために、いろいろな人々によって、さまざまな活動が行われてきました。その中で、ピースあいちは、博物館であり、運動体ではないという特徴を生かし、強みを発揮してきました。ピースあいちの今後の事業も、加藤さんと野間さんの二人の御遺志を引き継ぐ形で継続されるべきであると考えます。
尊敬され名誉ある地位を占めるボランティアの全てが、お二人の遺志を引き継ぐファミリーであり、ワンチームを構成し、ピースあいちの活動の担い手であると思います。
最後に、憲法について一言、私の考えを述べさせていただきます。
日本国憲法第9条の平和主義は、75年前に人類が今後目指すべき理想(理念)として、我が国と世界の人々の多くから支持を得て制定されました。理想は、現実の中でなかなか実現されないものです。しかし、あくまでも現実の方に合わせるのではなく、長い人類の歴史を踏まえ、将来をみつめ、先見性を持って理想的な規範を掲げ続けることが大切であると考えます。