◆「復興」は本当か~福島を訪れて~◆「福島を忘れないー原発事故から9年」展に向けて
ボランティア 岡村 裕成
今年も福島展「福島を忘れないー原発事故から9年」(2月29日(土)~5月7日(木)2階プチギャラリー)を開催する運びになり、福島県を訪れました。今回は、原発事故によりその村の特性が変わってしまった飯舘村、原発事故が発生し、廃炉が行われている大熊町を中心に訪れました。
(1) 飯舘村
2年前に強制避難が解除された飯舘村は徐々に人が戻りつつありましたが、一方でいまだに放射能汚染物を詰め込んだ黒い包み「フレコンバッグ」と共にある村になっていました。
飯舘村はかつて日本でも有数の、美しい農村地帯と言われていました。しかし、福島原発事故が発生した後、放射能汚染の発覚が遅れたことで住民の避難に悪影響を与えました。そして、住民の避難後、飯舘村は福島各地からの、「フレコンバッグ」の集まる場所に変わりました。その「フレコンバッグ」の管理と処理をするようになった飯舘村は、そこから得た多くのお金を使い、道の駅や新たな村役場などが建設されました。
その後、先述の通り避難解除がされたわけなのですが、これは放射能汚染の危険がなくなったからというわけでありませんでした。
上の写真のように「フレコンバッグ」は積みあがったままであり、何より住民が戻ってきている横で、「フレコンバッグ」の運搬が行われていました。つまり今の飯舘村に住んでいる人たちは、大量に積まれたままの「フレコンバッグ」とともに生活することを余儀なくされているのです。
上の写真は道の駅「までい」の裏側で建設されている子ども用の公園だそうですが、これは「屋内遊技場」にしていくとのことでした。また、新たに建設された学校以外は廃校になり、子どもが安心して生活できる飯舘村は、これから先のことのように思えました。
放射能汚染により、農村として生きられなくなった飯舘村では、新たな産業による可能性を見つけ出そうともしています。
汚染した土壌が現状使えないため、太陽光発電の拠点にしようという動きです。飯舘村やNTTなどが関わりながら、飯舘村の各地に点在していました。
このように現在、飯舘村は放射能の影響を大きく受け続けている村となっています。
(2) 大熊町
去年に一部の地区が避難解除になった大熊町は、現在「帰還困難区域」、「居住制限区域」、「避難指示解除区域」が混在する町になりました。自分は郡山市から、避難解除のされた大熊町へ向かうルートを進みましたが、その道中は「帰還困難区域」を縫うようにした道路を通ることになり、福島原発のある町というその一部を垣間見ることになりました。
「帰還困難区域」を示す看板やシャットアウトするゲートが道の近くに多く点在し、併せて放射能の除染を行う作業員のためのスクリーニング場があるのを見ながら、ようやく避難解除の地域である、大川原・中屋敷地区にたどり着きました。
大熊町役場が新設され、周辺には復興住宅が建設されていて、徐々に復興できてきているように見えました。しかし、営業しているコンビニが1軒しかないことや、食事できるところがほとんどないことなど、まだその一歩を歩みだしたばかりという感じでした。また、大熊町役場内では大熊町の模型があったり、空間放射能測定をしたマップがあったりと、福島原発事故の影響が未だに残っていることも感じ取れました。
その後、再び「帰還困難区域」の間を縫うようにして福島第一原発のあるところの、行けるところまで行ってみることにしました。
大熊町内は「帰還困難区域」が道路を挟んで存在しているのが当たり前で、道路だけ通れるという奇妙な状態でした。この風景を見ていると、改めて福島原発のある町だということを実感するとともに、「帰還困難区域」と共にある日常が当たり前になりつつある怖さも感じました。福島原発は許可書がなければ入れませんでしたが、結構なところまで行けた上、その近くにあった看板「ようこそ 福島第一原子力発電所へ」が廃炉作業をしているはずの福島原発なのに…?と不思議な印象を持たせました。
(3) 福島のエトセトラ~中間貯蔵施設と継承活動~
ほかにも福島ではいろんなところを見ることができました。特に印象に残ったのは2つです。一つは放射能汚染物を処理するまでの保管施設となる中間貯蔵施設の予定地、もう一つは福島原発事故の教訓を継承する施設「こみゅたん福島」でした。
中間貯蔵施設が印象に残ったのは、まず普通にグーグルマップで検索をかけたら出てきたという点でした。ちょうど浪江の近くにいたこともあって、行ってみようと調べたところルートも含めて出てきたのには驚きました。
そして、いざ行ってみるとそれらしい建物がわからず、ぐるぐると近辺を回っていました。中間貯蔵施設自体が反対を受けているということを思い出したのもあって、結果的に見つけることができましたが、今後きちんと建設されるのかどうか不安になりました。
もう一つ、印象的だったのが「こみゅたん福島」です。現地福島でいろんな活動をしている人たちから、「福島自体が原発事故や放射能汚染の事実を忘れようとしている」と聞いていたので、福島原発事故などの教訓を継承している施設があるのには驚きました。その「こみゅたん福島」の施設は、本館・研修棟・研究棟に分かれていて、IAEAの日本事務所もあるとのことでした。その施設の中に「こみゅたん福島」があり、そこでは先述の通り、福島原発事故の経過、東日本大震災の被害状況の現状、放射能について、再生エネルギーの展開といったテーマで展示されていて、福島原発事故などの記憶や教訓を継承しようという動きが施設レベルで行われているのは、今後のために希望が持てると思いました。
福島を訪れたことで、報道されている「復興」がまだ遠いものである一方で、その一歩が踏み出されつつあることを感じました。そして、この「復興」が正確な情報や事実で伝わってほしいと思います。