◆被爆姉妹の見た地獄◆体験談を聞いて絵を描きました
中沢 美涼(中学2年)
「木下冨枝さんへ
この前は原爆について詳しいお話ありがとうございました。分かりやすかったです。そこからイメージをふくらませて絵に描いてみました。 中沢 美涼」
ピースあいち「夏の戦争体験語りシリーズ」より
8月6日(火)「広島原爆被爆」 木下 冨枝さん(1936年生まれ88歳)
74年前1945年8月6日、爆心地から1.2キロの我が家で、国民学校の教科書を読んでいた。一瞬外が真っ暗になり、母が頭から血を流していた。外に出ていた姉は、背中が半分燃えていた。近くに住んでいた叔父や叔母は建物の下敷きになり足が折れたりと祖母を助け出すのに時間がかかった。避難した親類宅には、被爆した人々でいっぱいだった。そこから5キロ先の離れ(物置)に住む。火傷した姉はずーっとうつぶせだったが、軍医の世話で回復した。父が家を修理し8か月ぶりに家に帰ったが、毎日毎日家の前を棺桶が通った。母が心配して髪の毛を引張ったり皮膚を確認していた。59歳で亡くなった姉の葬儀の帰りに広島平和記念館に寄ったら「ケロイドの少女」として映っていた姉の後姿を発見、立ち尽くし涙が止まらなかった。毎年一回広島市からアンケート調査があります。(ピースあいちメールマガジン117号から)