◆特別展「水木しげるの戦争と新聞報道」に寄せて
ピースあいち会員 愛知学院大学文学部教授  蛸島 直(たこしま すなお)

                                           
 

 「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ「妖怪」であまりに有名な水木しげるですが、自身が、自作のなかで最も愛着深い作品として挙げるのは『総員玉砕せよ!』でした(『水木サンの幸福論』:2004年)。戦記物は、水木にとって妖怪物と並ぶ車の両輪といえるでしょう。次女の水木悦子さんも、「父が生きて帰ってきたのは、『戦争の本当の姿を伝える役目を担わされていたからではないか』と思う」と述べています(『お父ちゃんと私:父・水木しげるとゲゲゲな日常』:2008年)。
 また、昭和から平成をまたぐ1988年から1989年に刊行された『水木しげる 昭和史』(文庫版では『コミック昭和史』と改題)は、全8巻に及ぶ大作ですが、後に水木は「戦争で死んだ人への鎮魂を込めた自分史でもある」と述懐しています(『水木さんの幸福論:妖怪漫画家の回想』:2004年)。

絵はがき

水木しげる展の入口

 戦争は水木から、多数の戦友の命、若き日の貴重な時間、そして左腕を奪いました。水木の大ファンであり、親交もあった鶴見俊輔(哲学者・元同志社大学教授)は、「国家というばけものにふりまわされて、わけもわからない戦争にかりだされ、爆撃で片手を失った水木しげるには、近代戦と近代国家をばけものと見る教養が身について」いたと評しています(『最新版 妖怪まんだら 水木しげるの世界』:2010年)。
 水木は大変な読書家で、その作品は、むなしい戦争体験とともに、多方面にわたる実に豊かな教養に裏打ちされています。
 皆さんは、水木自身がある映画に出演していたことをご存知でしょうか? それは、『妖怪大戦争』(三池崇史監督:2005年)のエンディングです。悪霊軍団と妖怪たちの大戦争の末、妖怪たちが勝利します。京極夏彦演じる神野悪五郎が「お喜び下さい。どうやら勝ち戦のようでござる」と語りかけると、水木扮する妖怪大翁は、「えっ、勝ち戦? バカいっちゃいけませんよ。まったくアホらしいものにもほどがあります。戦争はいかんです。腹が減るだけです」と語り、微笑を浮かべるのです。ユーモラスでありながら、どこかニヒルな、いかにも水木らしい表現だと思いませんか?

展覧会場の様子1展覧会場の様子2

会場の様子

 

 さて、水木は、妖怪を中心とする民間伝承の研究者でもあり、1973年に日本民俗学会の会員となりました。この年は、『総員玉砕せよ!!:聖ジョージ岬・哀歌』刊行の年でもあるので、水木の人生の一区切りであったものと想像されます。なお、鬼太郎の盟友となるヌリカベとイッタンモメン、そしてコナキヂヂとスナカケババの名称は、すべて民俗学者柳田國男の著作からの借用です。
 さらに、注目すべきことに、ぬりかべについては、水木自身が戦地で遭遇したというのです。『ゆうれい電車』(1980年)の「あとがき」には、「戦争中、夜、敵におそわれてジャングルを逃げていたら、ぬりかべに出会った。形はハッキリわからなかったが、前へ押しても、コールタールのかわきかけのようなものが立ちはだかり、前へ進めないのだ」とその体験を語っています。後にこの体験は、『水木しげる 昭和史』第5巻第3章「ぬり壁にあう」にて漫画化されます。

 詳しくは、8月17日(土)、ピースあいちにて「妖怪ぬりかべと水木しげるの戦争体験」と題して講演させていただく予定です。「ぬりかべ」は水木の戦記物と妖怪物を結ぶ接点にあるといえますが、民間伝承としての「ぬりかべ」と、さまざまな作品に描かれた水木の過酷な体験談とを比較してみたいと思います。妖怪好きの皆さんにもお声がけのうえ、ご一緒にお出かけいただければ幸いです。