今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより



4月10日、四国・香川県の塩江中学校の生徒さんが修学旅行の一環で来館されました。朝5時に出発されたとか。長旅の疲れも見せず、ガイドの案内に熱心にメモを取りながら聞いていただきました。また、東邦高校美術科の生徒のおじいさんたちが「孫の絵を見に来ました」と来館。「熱田空襲」の展示もあとわずか、ぜひお誘いあわせてご来館ください。

■アンケートより

ピースあいちを訪問するのは3度目ですが、何度来ても新しい発見があります。今回は熱田空襲の企画展を見るために来館しました。東邦高校美術科の生徒たちの「制作を通じて自分も戦争を伝える役割を担えることに気付いた」という言葉が印象的でした。戦後生まれであっても、誰もが戦争の伝え手となれるのだと思いました。(27歳女)

幼少時より熱田区で育ち、熱田区内の小学校へ通い、祖母や叔父、両親やその知人の方から熱田空襲のことを聞いていました。ラジオでこちらの会館で展示があることを知りました。子どもの頃からの記憶をうっすらと折につけ思い出してはおりましたが、こうして詳しくいろいろな方向から示された現実の記録に接し、大変な衝撃を受け、深く感じることが多くありました。また、高校生の方々の作品を拝見し、若い豊かな感受性あふれる思いに感無量です。私たち高齢者も是非この展示を拝見する機会を作って、今一度真の平和を考え、微力でも何かできることを…と思いました。(73歳女)

熱田空襲がなぜ起きたか知りたくて訪れました。当時私は5歳弱で叔母に背負われ火の粉の中を逃げ廻った記憶があります。家は全焼し中川区の知り合いの元で、結婚まで育ちました。今日企画展を見て、改めて戦争は起こしてはならないと強く思いました。賛助会員を申し込みます。(79歳女)

「熱田空襲」の記事を見て見学に来ました。昨年「愛知時計電気(株)」を40年近く勤め退職したものです。戦争の悲惨さをつくづく想起するとともに「令和」の時代が平和になることを祈念しています。(72歳男)

私は愛知時計電気㈱に40年勤め、65歳で定年退職しました。「ピースあいち」は大切な情報など大切なものも展示し保管されています。(77歳男)

母(大正12年生まれ)が、戦時中名古屋駅に勤めており、名古屋空襲の事をよく聞いておりました。熱田、堀田、市中心部などなど。中でも名古屋城が燃えている状況を目の当りにした時は、回りの人たちも泣いて悲しんだそうです。また、母親曰く、駅自体には全く爆弾が落ちなかったそうで、終戦後もそのまま利用できたといっておりました。館内の展示物につきましては、母親から聞かされた事がそのまま文言・写真で展示されている状況であり、改めて悲惨さを思い知らされます。(65歳男)

田舎の育ちで戦争をほとんど知りません。当時3歳10ケ月。8歳年上の亡き夫は、熱田日比野中学2年生。学徒動員で空襲後の死体の片付けをさせられたと言っておりました。家を焼かれ親類を転々と世話になったとの事。家族が皆無事だったのが幸いだったとも。日比中も焼けて校庭で野菜を作っていたと。(78歳女)

戦争といえば、原爆で被害の大きかった広島・長崎、東京大空襲のイメージが強かったのですが、愛知県にも熱田空襲のように大きな空襲があったことを知り、日本全国いろんなところが被害者だったのだと認識が変わりました。もう少しきちんと日本史を勉強すべきであったと思います。改めて平和について考える良い機会となりました。(21歳女)

戦争のムゴさを若い人たちに知ってほしい。私も九死に一生を得ましたが、まだまだ知らないことだらけで、ここは学習ができます。(77歳男)

一番に「眼をそらせないでください これが戦争です」の戦争によって命を落とされた方の写真が心に焼き付きました。また、たいへん貴重な物品を集めて展示なさっているなあと感じました。やはり何より本物が心を打ちます。また、原発や大震災も戦争と相通ずるものがあります。人類がこういう悲劇を二度と起こしてはならないと強く思います。(61歳男)

かなり見応えがあった。ここで初めて知った事があります。市民への無差別爆撃は、実は日本軍がはじめて行ったということ。日本はアメリカからの犠牲ばかり訴えていてはいけないのです。(56歳女)

戦争の恐ろしさを決して忘れてはいけないと強く思いました。若い人たちが一瞬にして命を亡くされたことはとても心が痛みます。戦争は決してあってはいけないと平和を願って生きていきたいと思いました。(65歳女)

昔のことだと思いながら見るしかない自分が、どう捉えて、どう想うか、その感性を大切にしたい。(21歳男)

お若い方でも戦争の記録・記憶を掘り起こす作業をたいへんな思いでされていることがわかって少しホッとしましたが、自分もあとどれくらい生きられるかわかりませんが「戦争」が忘れられないような立ち位置に居たいと思います。(70歳男)

私の知識内で、展示の正確さには感心させられました。(87歳男)

戦争をしない国であり続けるための平和の拠点として末永く存続されることを望みます。(69歳男)

名古屋市に住むようになって半年です。以前は京都に住んでいたので、空襲を受けた場所は限定的にしか知りません。名古屋市のすさまじい空襲体験、学童疎開のことを知るにつけ、驚くことが多いです。京都市は破壊が少なかった分、西日本の占領軍の中心地であったようです。『古都の占領』という本があります。名古屋の占領時代のことも知りたいです。(65歳男)