今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより
熱田空襲展が開催中です。
「熱田空襲で亡くなった叔父は、学徒動員でした。絵が好きで陶磁器の会社に就職が決まっていたそうです。」「父が6月9日の空襲で亡くなりました。海軍から愛知航空機へ派遣されていました。私5歳の時です。」「叔父はあの空襲の生残りでした。空襲警報が鳴り慌てて防空壕に避難したものの天皇陛下の肖像(写真)を忘れていたのに気付き、『班長だから』という理由で工場に肖像を取りに行かされたとのこと。その間に爆撃があり、防空壕の人は全員亡くなったそうです。」…
来館いただいた方々がスタッフに語ってくださいました。救助活動にあたられた桜井さんの戦争体験画には「医薬品もなく赤チンを塗り、ミシンで縫った紙の包帯を巻くだけでした…」とあります。
暖かくなってきました。ぜひ多くの方にご来館いただきたいと思います。
■アンケートより
広島や長崎で大きな被害があったことは知っていたし、名古屋にも空襲があったことは知っていたけれど、実際に写真や体験した方のお話を通じてよりリアルに感じられました。私はその時代に生きていなかったから、詳しくは知らないけれど、私の祖父母、ひいおばあちゃんは体験した身なので小さい頃、よく話を聞いていた。先日見た「この世界の片隅に」でも思ったことだが、身内の人が一瞬にして亡くなってしまうということが目の前で起こっていた時代があったことを思うと胸が痛みます。(14歳)
主人が名古屋に単身赴任して7年になります。主人が住んでいる日比野からすぐ近くで空襲がおきていた事を知りおどろきました。私は小中学校で戦争体験のお話を伝えるグループで活動していますが、風船爆弾の話、中島飛行機半田工場の地震で亡くなった学生の話も伝えた事があります。東山動物園のマカニーとエルドのお話は小学校4年生にお話ししています。風船爆弾を名古屋の女学校でも作っていた事をはじめて知りました。今日知った事を今後の活動に生かしたいと思います。高校生が戦争を伝えるために活動している事も知れて良かったです。若い人・子ども達があたり前に戦争を知っている世の中になればと思います。(48歳女性)
今日は愛知時計の空襲特別展を特に興味が有り見学させていただきました。軍需工場だったことから空襲されたと認識していました。しかし、たった8分間の爆撃により2000人以上の若い工員、学徒の犠牲があったのは、初めて知りました。また、犠牲の原因が敵機の情報が誤って流されたものと知って衝撃を受けました。助かる命ももっとたくさんあったかと思うと胸が詰まります。アメリカ軍の緻密な作戦によって被害が大きくなったと思います。今さら遅いですが、指導者はもっと戦争の恐ろしさを認識して国民を守るよう切に願うばかりです。(62歳男性)
愛知時計の近くに住んでいるので、空襲のことは知っていますが、今回のお話でいろいろなことを知ることができました。また、高校生が語り継いでくれていることに感心しました。是非この活動を続けてください。(68歳女性)
地元名古屋周辺で生まれ育ったものとしてぜひそなえておきたい知識を得させていただき感謝しています。展示で学んだことをもとに、理解を深めたく思います。(31歳女性)
私が戦争に直接参加したわけではないのに、73年前の3月12日名古屋大空襲により姉(椙山女高生)ほか身内2名が亡くなった。理不尽極まる。さらに8月14日渥美線で下校途中空襲にあい、友人が亡くなった経験がある。本日の当会場の悲惨な場面は後々まで伝えるべきだ。(86歳男性)
体験者のお話を聞いて、戦争によって、大人も子どもも性格が変わってしまうという事には少し驚きました。生活が一変してしまうのは何となく分かっていましたが、その人の性格まで変えてしまうとは思っていなかったからです。また、実際に焼夷弾を持ってみて、あんな重い物が火薬を中に入れた状態で空から降ってくるなんて恐怖以外の何物でもないと思いました。渡された資料で、よく見知った大須も焼夷弾によって本当に焼け野原になってしまっていたことを知った!そこからあそこまで発展したのは本当にすごいなと思いました。(14歳)
そもそも名古屋に空襲があったなんて知らなかった。日本では310万人の人が亡くなり、沖縄では4人のうち1人が亡くなったと聞いてとても驚いた。(14歳)
戦争中は毎日が恐怖で一杯。空襲で家を失い、家族を失い、今までの生活が奪われてしまう。そんな悲劇はもう二度と起こしてはいけない。しかし自分も含めた日本国民はその出来事を知らずに生きてきた。だからこの講座はとてもいいものになったと思う。いつ空襲が来るか分からないため、枕元には常に防空頭巾、鉄かぶと、防毒面、リュックサックを置いていた。そんな毎日で逃げるのも嫌になってしまうほど気が病んでしまう。家族がバラバラになってしまう。今ではありえないようなことが当時は起こっていた。どんな戦争の話を聞いてもいいことなど決してない。戦争の悲惨さを知っている人が伝えてくれるから、この悲しさを忘れないよう次の世代に伝わると思う。(14歳)
戦争の本質をもっと理解して平和への関心をもってきっと平和への貢献をしたいと思った。(16歳男性)
学校で学ぶ教科書の中では伝えきれていない事象や先人たちの思いを学ぶことで、これからの時代に我々がどう世の中を変えていくべきかよく考えられると思う。(17歳男性)
私より小さな子どもたちが想像できないほどの辛い体験をたくさんしてきたという事がとても悲しいと思いました。たくさんの展示があり、目で見て当時の様子を勉強することができました。(17歳女性)
今日展示を見たりお話を聞いて、二度とおこしてはいけないことだと感じました。私たちはこれから、有権者になってこれからの政治などを考えていかなくてはいけないので、今日聞いたことをこれからの自分の人生に活かしていきたいと思いました。(17歳女性)