◆所蔵品から◆資料ナンバー8248・8447 ポツダム宣言が降ってきた の話 
 「戦争の記憶」募集に寄せられた資料から資料班


 

 ピースあいち企画展「伝えたい!戦争の記憶―戦後70年応募資料・作品展」は、いよいよ来月(2015年12月)から始まります。
 2015年1月から9月に寄贈をいただいた実物資料は、「戦時遺品」コーナーで展示する予定です。
 先月に続いて、今月の「所蔵品から」でも、12月からの展示でご紹介する予定の資料を見ていただこうと思います。

「マリヤナ時報 号外」
「マリヤナ時報 号外」

「マリヤナ時報 号外」
「マリヤナ時報 号外」裏面

 今回ご紹介するものの、ひとつめは伝単です。(伝単というのはビラのことです。)
 この「マリヤナ時報 号外」は、日本語で書かれていますが、アメリカの飛行機から撒かれたビラです。寄贈をして下さった方の父親が働いていた工場に落ちてきたものです。
 マリヤナ(マリアナ)諸島は北緯15度東経145度あたり。サイパン島・テニアン島などがあります。テニアン島には原子爆弾を積んだ飛行機が飛び立った飛行場があります。

 詳しく見ていきたいと思います。まずサイズは、縦10.5センチ×横13.5センチ。「ビラ」としては小ぶりなサイズです。字もたいへん小さい。表題と、本文の最初の4行を書き写してみます。(旧漢字は今の漢字にしました。)
 「三国共同宣言発表 日本に対し戦争終結を提議 荒廃か平和か決断の秋至る」
 【ワシントン7月26日発】 「アメリカ合衆国、英帝国及び支那三政府首脳者の共同宣言はホツダムに於て、合衆国大統領及英首相の署名を完了し、支那大総統の同意は電報によつてツルーマン大統領に伝へられた。宣言の全文は次の通り」

 これ、ポツダム宣言です。ポツダムでなくてホツダムになってますけど。
 ポツダム宣言受諾→戦争終結、と授業で習った、あのポツダム宣言です。
 全部で13条あります。小さいビラの裏表に13条全部書いてあるのです。
 2015年、安保法案話し合い中の国会で引き合いに出されたので、なんか最近聞いたわ、とお思いの方もいらっしゃるでしょうか。どこら辺が話題になったのか、拡大して見てみましょう。スペースの都合で横向きに入れますけど、2行目途中から3行目、「……日本国民を欺き世界征服の暴挙に導いた……」と読めます。


第六条

「マリヤナ時報 号外」より

 1945年7月ごろにアメリカ軍によって日本語に訳された文章なので、後に正確に(あるいは正式に)訳したものとは違っているかもしれません。



東区(部分)

大阪毎日新聞 1941年12月9日号(12月8日第一夕刊)

 終戦の少し前に工場に降ってきたビラの後は、「宣戦布告」を伝える新聞を見ていただこうと思います。
 大阪毎日新聞です。「昭和十六年(1941年)十二月九日」と上の欄外には書いてあるのに、「大阪毎日新聞」の題字の下には「第一夕刊 十二月八日」と書いてあります。
 こちらもちょっと書き写してみます。(漢字は現代の漢字に変えました。)
 「情報局発表(八日午前十一時四十分)只今アメリカおよびイギリスに対し宣戦布告の大詔が下されました 臨時議会を十五日召集、会期二日間の詔書が公布されました」
 「大本営陸海軍部発表(十二月八日午前六時)帝国陸海軍は本八日未明西太平洋に於て米英軍と戦闘状態に入れり」

 これまたどこかで見たこと聞いたことがあるような。

 大詔渙発(たいしょうかんぱつ・天皇からの命令を広く発布すること)とか、隠忍自重(いんにんじちょう・じっと我慢して、軽々しい行動を慎むこと)とか、当時の新聞は難しい言い回しを使っています。(辞書で調べました。)
 隠忍自重は、リード文(いちばん最初、記事の要約が載るところ)に、 こんなふうに使われています。
 「……帝国の限度を超えた隠忍自重と平和確保の努力も遂に空しく西太平洋において米英と戦闘状態に突入する……」
 「帝国」は当時の日本のことです。「平和確保の努力も空(むな)しく」という言葉とともに、宣戦布告が行われました。


詳しい画像はこちらからどうぞ。空から降ってきたポツダム宣言の全文も読めます。
http://peace-aichi.com/20151121_mariyanajihou.pdf
ピースあいちウェブサイトの「所蔵品の紹介」ページからは、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/05_objects.html