◆所蔵品から◆資料ナンバー1593その他 またまた、竹内浩三といえば… の話 (その3) 
資料班


 
竹内浩三展ちらし

竹内浩三展ちらし

 2015年夏、現在開催中のピースあいち企画展「竹内浩三の詩とその時代」は8月30日日曜日までです。先々月・先月に続き、竹内浩三に関係のありそうな資料を、過去の「所蔵品から」の記事の中からご紹介したいと思います。

 竹内浩三の詩の中でおそらくいちばん有名な、「骨のうたう」。今回の企画展のちらしにも、「戦死やあわれ…」で始まるフレーズが引用されています。


手紙
表紙

婦人倶楽部 令嬢画報 1939年9月号
右ページが令嬢画報 左ページが化粧品の広告

 「骨のうたう」の中の一節が、「故国は発展にいそがしかった/女は 化粧にいそがしかった」。
 女は化粧、って、なんとも無邪気に言い切ってくれていますが、70年以上昔のことだし、21歳の竹内浩三にとってはそういう風に見えていたのだろう、と想像しました。
 お家が呉服屋さんということで、浩三のまわりには、お店の人やお客さんなど、着飾った、というかちゃんと化粧をしている女の人が多かったのだろうな、とか。
 お姉さんや、好きになった女の人たちに、目を向けてほしくて、いなくなった後でも自分のことを思い出してほしくて、わざと「まあ」といいたくなるようなフレーズを入れたのかもしれない、とも、思いました。

 「女は化粧」からの連想でご紹介したい記事は、2013年3月にご紹介した
資料ナンバー850・1213・1593婦人倶楽部 「令嬢画報」と手紙のお手本の話  です。
 婦人倶楽部の、グラビアページ。女優やモデルではなく、弁護士・子爵・医学博士・実業家などのお家のお嬢様が写真付きで登場します。化粧成分はこれらのお嬢にあるのではなく、見開きの向かいのページの広告が化粧品ばっかり、というところにあります。
 「令嬢画報」の画像はこちらからご覧ください。
資料ナンバー850・1213・1593婦人倶楽部 「令嬢画報」と手紙のお手本の話の詳しい画像はこちら


手紙
表紙

竹内浩三の描いた女性
左:詩集「培養土」のカバー(今回は展示されていません)
右:中学時代に描いた漫画雑誌より

 もう一つ、女性の描かれた絵がたくさん出てくる記事をご紹介します。2013年2月号より。
 資料ナンバー2010 古い新聞の話(真珠夫人 その他)  です。どれくらい古い新聞かというと、竹内浩三の生まれるよりも1年前の1920年のものです。新聞連載小説「真珠夫人」のさし絵と、同じ新聞の広告に出てくる女性像を取り上げています。
 「真珠夫人」の画像はこちらからご覧ください。資料ナンバー2010 古い新聞の話(真珠夫人 その他)の詳しい画像はこちら

アサヒグラフ
筑波日記

上:筑波日記1944年4月1日
下:「ハイゼ傑作抄」(ドイツ語の本)の書き込み「もでるのろぢお おぶ ばいしくる」

 軍隊に入った竹内浩三が隠れて書いていた「筑波日記」。彼が自転車に乗っている、印象的な場面をご紹介したいと思ったので、最後の記事は、2012年11月号の、
 資料ナンバー7136・7411 海軍のカンテラと自転車用ランプの話
 共通点は自転車というだけです。竹内浩三は陸軍に入っているし。
 画像はこちらからご覧ください。資料ナンバー7136・7411 海軍のカンテラと自転車用ランプの話 の詳しい画像はこちら

昭和19年、1944年の日記です。

4月1日
(略)
 十六時ころ引きあげた。曹長が自転車を一台おいて行ったので、じゃんけんで勝った方がそれに乗って帰ることにきめた。ぼくが勝った。
甘いにおいが流れていた。
梅であった。花のにおいでこれほど感動したことはない。なぐさめられるようなにおいであった。
道のわきに梅があるたびに、自転車をその方へくねらせて、においをかぎながら帰った。
夜は、火にあたりながら、三島少尉とわい談をした。
4月3日
(略)
小林曹長が、自転車を一台おいてゆけと云ったので、帰りは一台の自転車にかわりばんこに乗った。
途中で日が暮れた。
途中で、ジャガイモのむしたのをもらった。
云いわすれたが藤井は、能登半島の七尾と云う町のお寺の息子であった。太い声で、この道はいつかきた道……とうたい出した。それがきっかけで、歌がつづいた。からたちの花がさいたよになり、ごらんよ坊やになり、叱られてになり、シューベルトのセレナーデのハミングになった。この坊主、しゃれた坊主だと、藤井を一寸、すきになった。
夕食は、パンであった。
(略)
(竹内浩三 筑波日記より)

 花の香り、花の影、夜の風、食べ物、歌声。外の世界と、竹内浩三の心が、いろどり豊かに書かれています。
 部隊に後輩が入ってきて、小学校で寝泊まり。3月31日の日記(↓)に見られるように、このころの竹内浩三は、わりとのんびりと過ごしています。

3月31日
(略)今度、この部隊へ、初年兵が○名入ってくる。けれども、まだ四年兵がいるので、それらの初年兵を入れる余地がない。それでしばらくの間、吉沼の小学校へ寝泊りすることになっている。
(略)
 点呼がすむと、教室へとった床の中に入って、すぐに寝た。こんな気楽な生活は、軍隊へ入ってはじめてである。
  新しい毛布は、臘のにおいがする。
(竹内浩三 筑波日記より)


詳しい画像はこちらからどうぞ
婦人倶楽部 「令嬢画報」と手紙のお手本
http://www.peace-aichi.com/pdf/20130322_reijou.pdf
大阪毎日新聞 1920年8月11日 (真珠夫人 その他)
http://www.peace-aichi.com/pdf/20130223_judith.pdf
海軍のカンテラと自転車用ランプ
http://peace-aichi.com/pdf/20121123_lantern.pdf

ピースあいちウェブサイトの「所蔵品の紹介」ページからは、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/05_objects.html