◆所蔵品から◆資料ナンバー1487その他 竹内浩三といえば… の話 その2 
資料班


 
竹内浩三展ちらし

中学時代の写真 向かって右が竹内浩三

 2015年の夏のピースあいちの企画展は、竹内浩三がテーマです。このメルマガが皆さんに届くころには展示が始まっています。先月に続き、竹内浩三に関係のありそうな資料を、過去の「所蔵品から」の記事の中からご紹介したいと思います。先月よりもこじつけっぽいものになってしまいそうですが、お許し下さい。



手紙
表紙

雑誌「初級英語」より 笑い話と考え物のコーナー

 今回の企画展では、竹内浩三が中学時代に描いたまんがを紹介しています。友人と写っている、中学時代の写真もパネルに使われています。中学時代の浩三も英語を習っていたのかしら、と考え、「初級英語」の記事をご案内します。(浩三の行っていた中学は旧制中学です。1934年の4月・12歳から1939年の3月・17歳まで在籍していました) 資料ナンバー1487 雑誌「初級英語」昭和18年2月号 の話
 「初級英語」の画像はこちらからご覧ください。資料ナンバー1487 雑誌『初級英語』昭和18年2月号 の話の詳しい画像はこちら


手紙
表紙

手紙
表紙

竹内浩三の手紙(部分)

 今回展示している資料(本居宣長記念館からお借りしている資料です。)の中で、お姉さんあての手紙なんだけどエッセイらしい文章も含まれている、「雷と火事、手紙、ふられ譚(ばなし)」というのがあります。
 5枚の4穴ルーズリーフの裏表、全10ページの文章なのですが、その中の8ページ目をご覧いただきます。(このページはピースあいちの展示では出ていません。)注目してほしいのは、まん中よりもすこし下のあたり、「Cat(ネコ)もSpoon(シャクシ)も」、という表現が出てくるところ。「初級英語」のクイズや笑い話のコーナーに出てきそうな言い回しだと思いました。この手紙が書かれたのは昭和16年(1941年)。浩三は東京で映画の勉強中でした。
 この手紙の末尾の部分もご紹介します。今度は、駄じゃれというかなんというか、「アキレタ」から、「アキレスの馬」が出てくる。ちょっと字が小さくなっています。

アサヒグラフ

アサヒグラフ 1938年3月23日号
「空のトピック 赤色空軍を批判する」

アサヒグラフ

アサヒグラフ 1938年3月23日号
「総動員法案を繞(めぐ)る」

 竹内浩三は兵隊になって、筑波のグライダー部隊に入ります。 グライダーと少し違うのですが、落下傘部隊についての記事が載っているアサヒグラフ、次はこれをご紹介します。
 資料ナンバー7864 アサヒグラフ 1938年3月23日号の話
 同じアサヒグラフの号には、国会がもめる記事もあります。「総動員法案を繞(めぐ)る」
 「アサヒグラフ」の画像はこちらからご覧ください。写真だけでなく、拡大すれば記事の文字も読めます。資料ナンバー7864 アサヒグラフ 1938年3月23日号の話 の詳しい画像はこちら

「模型航空」

「模型航空」1943年7月号
「ガソリン機の調整と試験飛行」
チャールズ・ハムプスン・グラント
山本武男訳

 さらに離れて模型飛行機。 2013年10月号 資料ナンバー1396その他 雑誌「模型航空」 の話
 組みたてた飛行機を初めて飛ばすときのうきうきした気持ちが伝わってくる記事と、「筑波日記」のなかで竹内浩三が初めてグライダーで空を飛んだ時の記録。空に浮く気持ちというか、通じるものがあると思ったのです。
 「模型航空」の画像・記事はこちらからご覧ください。
 資料ナンバー7864 アサヒグラフ 1938年3月23日号の話 の詳しい画像はこちら 

3月1日
(略)
ひるめしをどっさり喰った。喰って、ぶらぶら帰ってくると、いままで何をしとった、すぐ用意をせい。グライダーに乗るんじゃ。
生まれて、はじめての、ぼくの空中飛行が始まる。
ごちゃごちゃと、緑色のベルトのついている落下傘を着けた。勇ましい気になった。同乗者十三人あまり。よい数ではない。 
赤い旗が振られた。
がつんと、ショックがあった。
すると、枯草が、ものすごい速さで流れはじめた。うれしくなって、げらげら笑った。
枯草が沈んで行った。
(略)
(竹内浩三 筑波日記より)


国民交戦必携②

国民交戦必携②
中部日本新聞 1945年6月20日号

 2014年8月号資料ナンバー2368その他 新聞の裏面から の話の中の、「国民交戦必携②」。敵軍が本土に上陸して攻めてきたらどう戦うのか。竹槍のような棒の先に爆弾をつけて、とか、フトン爆雷(安全装置を抜いて10秒後に爆発)とか、火炎瓶を使う、などと説明してあります。
 竹内浩三はフィリピンのルソン島で行方不明になり、のちに戦死の知らせが届くことになります。フィリピンの前線では「斬り込み」という作戦が行われていました。
 ピースあいちの展示パネルに斬り込みの説明があります。「夜陰にまぎれ米軍キャンプに接近して手榴弾を投げ込んだり、銃剣や刀で刺し切りあったり、爆弾を抱えて戦車の下に飛び込んだり」「当然、生還を期待できない「特攻」といえる戦法」
 フィリピンで実際に行われた斬り込み作戦と、想定された(市民が戦う)地上戦。アメリカ軍の物量に気合いや精神力で勝とうとしている、というところが共通しています。
「資料ナンバー2368その他 新聞の裏面から の話」の詳しい画像はこちら


詳しい画像はこちらからどうぞ
雑誌「初級英語」昭和18年2月号
http://www.peace-aichi.com/pdf/20100720_shokyuueigo.pdf
落下傘部隊ともめる国会 アサヒグラフ 1938年3月23日号
http://www.peace-aichi.com/20150122_asahigu3803.pdf
「模型航空」試験飛行
http://www.peace-aichi.com/pdf/20131024_mokeikoukuu.pdf
国民交戦必携② 中部日本新聞 1945年6月20日号
http://www.peace-aichi.com/20140819_shinbun2men.pdf

 ピースあいちウェブサイトの「所蔵品の紹介」ページからは、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/05_objects.html