◆所蔵品から◆資料ナンバー8222その他 落ちていたもの、埋まっていたもの の話
資料班
沖縄展の展示 陸軍病院壕から出土した遺留品 協力:沖縄・南風原文化センター
錆びた銃やヘルメット。変形したガスマスク。
現在(2015年5月)、ピースあいちの企画展「戦後70年 今、振り返る沖縄戦と日本軍」で展示されている資料です。(沖縄・南風原文化センターからお借りしている資料です。)
病院として使われていたトンネル(壕)が、戦後は埋まってしまっていたのですが、最近の道路工事の調査で入り口が発見され、発掘が行われたのです。
何十年も埋まっていた遺留品なので、土が付いていたり、金属は錆びていたりします。展示作業をしているときにも、土なのか錆なのかほこりなのか、細かい粉がぱらぱらと展示台の上に落ちてきました。
こういう資料、ピースあいちにもあるよな、と思いました。人の手を離れてしまって、放置されていたものです。
前置きが長くなりましたが、今回の「所蔵品から」では、ピースあいち所蔵の資料の中から、「埋まっていたもの」「拾って来たもの」「落ちて来たもの」をご紹介しようと思います。
サイパン遺骨収集で集められたもの
まずはこちら。サイパン遺骨収集で集められたものです。寄贈を受けました。
右端の白っぽい金属のものは、防毒マスクの部品です。空気をきれいにするフィルターの部分です。
飯ごうのふたは、変形しています。
銃弾は、三八式歩兵銃(日本軍の銃)のものだそうです。
その横にある、ぷつぷつと穴のあいたものは、これも、防毒マスクの部品です。
いちばん上の、赤っぽい錆の出ているものは、軽機関銃の弾倉の破片です。
土間の土の中に埋まる
次はこちら。「B-29機銃弾 1945年3月25日に玄関の土間の土の中に埋まる」と記録にありました。ケース付き。全長約20cmです。
爆弾の破片
次は、爆弾の破片です。1945年3月25日に春日井市に落ちたものです。全長約18cm。
爆弾の破片・信管(焼夷弾)・薬きょう
こちらには3つ写っています。上のは、これも、爆弾の破片(約6cm)です。豊川海軍工廠の空襲(1945年8月7日)の後に拾ったもの、ということです。
まん中は、焼夷弾の信管。詳しいことはわかりません。
下は薬きょうです。焦げ・錆・泥汚れあり。名古屋市千種区のお庭で掃除中に発見されたものです。
焼けた硬貨
焼けた硬貨 96枚
「昭和20年3月19日空襲の焼け跡の金庫の中の黒こげになった
コイン類。」
「二銭硬貨 16枚 32㎜ 一銭硬貨 60枚 28㎜ 半銭硬貨 7枚 22㎜ その他不明 14枚」
です。
陶製の手榴弾と地雷
2階常設展示より。
陶器製の手榴弾と地雷です。埼玉県川越市の川で発見されたものです。
近くに火薬工場があったそうです。
ビラ(伝単)
アメリカの飛行機がまいたビラです。隠して持ち帰った、という方(複数)からの寄贈です。
焼夷弾
こちらも2階展示室より。焼夷弾の燃えがらです。このほかにも何本かあるのですが、その中の2本は、「1945年3月12日に庭に落ちてきた」「1945年5月14日に庄内川に落ちた」と、日付と場所がわかっているものです。
詳しい画像はこちらからどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/20150522_hiroimono.pdf
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http://www.peace-aichi.com/05_objects.html