沖縄に行ってきました。 <2>ボランティア 加藤有子
前回のあらすじ
2013年9月4日から9月6日まで、沖縄に行ってきました。対馬丸記念館に行って、「戦争と動物たち展」を見るのと、6月の対馬丸展の時に名古屋に来てくださった対馬丸記念館理事の外間さんと学芸員の慶田盛さんに会うのが目的でした。
前回は、1日目。飛行機に乗って、沖縄に行って、対馬丸記念館を訪ねて、対馬丸記念館のお二人と晩ご飯、でした。
2日目はバスツアーに参加して、今帰仁(なきじん)城跡とジンベエザメを見て、夕方からは国際通り。3日目は、再び対馬丸記念館のお二人のお世話になって、沖縄県平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館を訪れ、そのあと一人で首里城へ行きました。
今回は2日目の、海洋博公園(ジンベエザメ)までの話です。
高速道路で往復しました。対馬丸記念館の外間さんによると、「高速ではなくて、東側の国道で行かないと基地は見えない」ということなんですが。
それでも、ガイドさんの話の中には、「戦争の」「アメリカ軍基地の」話題がいろんなところで入ってくるのです。遊びに行ったはずが、いろいろ学んでしまったのでした。
朝食 モノレールでバスターミナルまで
朝食はバイキング。ゆし豆腐は、固まりかけた豆腐なのかと思ったら、しっかり塩味が付いていた。指サイズのバナナはしおれかけてるけど蜜が入ってていい香りでおいしい。沖縄のバナナだとすると、国産バナナを食べる貴重な機会だったかも。ポーク(スパム?)も食べてみた。紅茶は「霧の紅茶」。アールグレイ美味。ミルクが思ったより濃厚でミルクティーには今ひとつだった。
モノレールは通勤の人が乗っている。県庁前駅を通るので、公務員の人も乗っている。カラフルな「かりゆし」着てるのにまじめーな顔してカバンを下げているのでなんか不思議。若い女性2人づれの話してることばが全然わからない。沖縄言葉すごい、と思ったけどよく聞くと中国語だった。「県庁前」の次の「旭橋」駅がバスターミナル。枝から薄紫のブラシが下がっているような木の横を抜けて、那覇バス事務所へ。
那覇バスのガイドさんはピンクの制服。バスの窓から見える建物は、てっぺんが平らな家がけっこう多い。どんどん坂を上る。こんなに高低差があるのか、と思う。

那覇バスリーフレットより 赤紫のコースを下から上へ進む
高速で北へ ガイドさんの話 1
高速道路は、海洋博覧会(1975)に合わせて名護~石川(北の方)が、1987年の国体に合わせて石川~那覇(南の方)ができた。
那覇市から中城(なかぐすく)村へ。中城城(なかぐすくじょう)と護佐丸(ごさまる←ヒーローらしい)が有名。
宜野湾(ぎのわん)市へ。掘割コース(谷間のようなところを走る)を抜けると、左手にキャンプ・バトラー住宅エリアとか嘉手納(かでな)の飛行場とか。
沖縄市に入る。もとはコザ市だった。「ごや」(胡屋)という地名がワシントンDCに届け出るときにYとZと間違えたとか。ほんまかいな。山の向こうは嘉手納の弾薬庫。地下トンネルで飛行場とつながっているらしい。
うるま市へ入る。大合併で誕生した市。右の方に海が見えてくる。海中道路(水中ではなく海上です)で結ばれた島々もうるま市。
石川市、というのが(うるま市の)合併前にはあって、戦争の避難民の収容所があったところ。1945年9月の時点では「市」になるだけの5万人の人口があったのだけど、どんどん減って、合併前には2万人ちょっとだった。でもずーっと石川市だった。

那覇バスリーフレットより 赤紫のコースを下から上へ進む
高速で北へ ガイドさんの話 2
金武(きん)町へ。タコライス発祥の地。長寿でも有名。大川の水がいいらしい。
伊芸(いげい)サービスエリアで休憩。蝉の声が不思議。鳥のようなカエルのような、「ぐわ」とか「ぐえ」とかいう感じ。
キャンプ・ハンセンの横を通って宜野座村(ぎのざそん)に入る。「てんぶす」(おへそ)とよばれている(場所的に)。ジャガイモが名産。沖縄サミットの時にイタリアのアマト首相を招いてジャガイモアイスとジャガイモパスタでもてなしたらしい。ジャガイモのほかには、さとうきび・菊・ラン・茶の産地でもある。
名護市に入る。高速を降りると、今度は島の東側、東シナ海が見える。海の色にむらがあるのが特徴らしい。那覇空港に降りる前、島の南の海の色がまだらに見えて、大丈夫なのか?と思っていたのですが、いろいろの色に見えるのが売りだったのね。名護湾は、イルカ(ひーとぅー)漁をしていたところ。ゴンドウクジラだけど。

那覇バスリーフレットより 赤紫のルートを左回りに進む
名護市・屋我地島・古宇利島から今帰仁へ
トンネルを通って、(名護市)伊差川→田井等(たいら)へ。米軍の捕虜収容所のあったところで、戦後は避難民収容所になった。
また海が見えてきて、今度は羽地(はねじ)内海。嵐の時など、船が避難してくるところ。マングローブ林がある。木の種類はヤエヤマヒルギ・オヒルギ・メヒルギ。トビハゼ(とんとんみー)が育つ。
橋を渡り、奥武島→屋我地(やがじ)島へ。サトウキビ畑が広がる。塩の産地でもあり、一家に一枚は塩田を持っていた。サトウキビは染物にも使われる(うーじ染め)。夏の葉は黄緑、冬の葉だと渋い色に染まる。さとうきびの穂で染めると、ピンクに染まる。
古宇利(こうり)大橋を渡り、古宇利島へ。古宇利大橋は、テレビドラマに出てきたらしい。鏡もちのような形の古宇利島は、「海岸段丘」の島で、107メートル・60メートル・35メートルの3段。(上のほうが古い。)エメラルド色の海に足をつけてみた。サンゴが混じった砂で、裸足で歩くと痛い。塩と砂の残った足に靴下をはいて、バスに戻る。
古宇利大橋を引き返して屋我地島に戻って、ワルミ大橋で沖縄本島に渡る。ワルミ大橋から見る海は少し濃い緑色。今帰仁(なきじん)村へ。道のわきには松(リュウキュウマツ)。「非核平和宣言の村」の看板を見て、「むむ」と思う。
シーサーをよく見かける。体が横向きで、顔だけこっち向いてる唐獅子っぽいのとか、頭を下にして、屋根から滑り落ちないようにふんばっているように見えるのとか。エジプトの猫とかお稲荷さんのきつねみたいに、すらりと縦長でお座りしてるのもいた。
瓦ぶきの、斜めの屋根の家が那覇市内より多いのかも。沖縄らしい、赤いレンガのような色の瓦ではなくて、白っぽい色の屋根瓦?も見かける。

今帰仁城跡リーフレットより
中段左側の写真が平郎門
今帰仁城跡
今帰仁城跡を見学。石の階段をぐんぐん登って、平郎門をくぐって、大庭(行事などの広場)、主郭(本丸)へ。残っているのは、石垣だけ。遠くに海、下の方に川。石垣は、曲がりながら続く。石は、灰色でところどころ穴があいている、「サンゴの石」。
桜の名所でもある。今帰仁の桜が、日本で一番早く咲く。12月後半から咲く、ひかん(緋寒)ざくら。
ツアーの列から少しはずれて、石垣の真下に行ってみる。ぺたぺたと触ってみた。下の方と上の方で、石の積み方が違っている。上の方はあとでつけ足したのかもしれない、と思った。地面に落ちたフクギの実を拾い集めているスタッフの人がいた。(フクギは、防風林として植えられる木。黄色い実がなって、その実が変な匂い。ちょうど実が落ちる時季だった。)
蝶を見た。対馬丸記念館にいたオオゴマダラは白っぽいけど、この辺の蝶は黒い。猫もいた。
石垣をぺたぺたと触っていたりしたので、集合時間が迫っていた。最後に今帰仁歴史文化センターの見学をするはずが、駆け足で通り過ぎるだけになってしまう。素焼きの壺だか瓶だかがどっと並んでいたり、木製の生活用品が展示されていたり。蔵の中をのぞかせてもらっているような、でも蔵の中にしては明るい、のんびりとした感じのところだった。

沖縄美ら海水族館「美ら海観察ガイド」より
ジンベエザメとかヒトデとかイセエビ
沖縄海洋博公園へ。ものすごく広く、日蔭が少ない。地面から、柱から、いろんなところでミストがふき出していた。ガイドさんによると、「沖縄の日ざしは北海道の7倍」だそうですが、愛知県のあたりと比べてどれくらいかが知りたいではないですか。(あとでガイドブック「沖縄のいろは」をみたら、紫外線量は本土の5倍と書いてあった。)
昼食は、バイキングにした。豚角煮2切れと鳥から揚げ1つは欲張りすぎだった。ゴーヤーチャンプルーの中のゴーヤーが、色も香りも濃くて、さすが本場、と思って、おかわりした。ほんの少しだけど、カレーも食べた。
水族館に入って、「サンゴの海」コーナーで、前の晩に食べたお刺身の魚に出会う。ヒトデやナマコに触るコーナーを通り過ぎていたのに気づいて、戻って、手を洗ってから触らせていただく。彼らにとって、どれくらいのストレスなのかしら、と、ちょっと思う。終わってからも手を洗う。小さい水槽の前は、たいてい写真を撮る人が張り付いているので、あまり見られない。イセエビの仲間がはいっている大きい水槽は、のんびりと見ることができた。
ジンベエザメは、大きいのがゆーっくり泳いでいるので、「うわー」と言って息継ぎをしてもまだ半分ぐらいで、体全部が目の前を通過するまでにもう1回「うわー」と言えちゃう。集合時間を気にしながらではあるけど、何回も「うわー」と言いながら見た。帰りの日に、飛行機から、水族館のある本部(もとぶ)半島の海岸線の灯りが見えた時にも、今も彼らは大水槽の中を泳いでいるのか、と、想像した。
お土産を買った後、公園の中の、植物園のような庭園のようなところを少し歩く。水の上に紫の花がたくさん落ちている。近づいてみると、さるすべりみたい。沖縄にもさるすべりがあるのか、と思う。(違う木だったかもしれない)
バスに戻る途中にある噴水で、虹が見えないかな、と思って近づいて眺めていたら、小さい女の子が(小学校前ぐらい)近寄ってきて、こっちを見てびっくりして止まってしまった。一緒に来た誰かと間違えたみたい。迷子になりかけの女の子と、しばらくお互い「どうしよう」という感じで動けずにいたら、お姉ちゃんらしき年頃の女の子が来てくれて、何とかなった。バスに戻って、席に着いたらすぐにバスが動き出した。最後の一人になってしまったみたい。

お土産(自分用) 魚の親子てぬぐい