オバマ政権時代の米国を見つめて⑦◆過熱する同性愛者解放運動
                                 名古屋市立大学准教授 平田雅己



 先日、『Beginners(日本公開未定、マイク・ミルズ監督)』という新作映画を鑑賞した。38歳のグラフィックデザイナー、オリヴァー(ユアン・マクレガー)は、母親の死からまもなく、75歳の父親ハル(クリストファー・プラマー)からゲイである事実を突然告白される。その後ハルは失われた時を取り戻すがごとく、ゲイ・コミュニティに身を委ね、ゲイの恋人をつくるなど、ゲイとしての新たな人生を謳歌していく。息子のオリヴァーはそんな父親の変貌ぶりに戸惑いながら、悲観的な自分の生き方を変えるヒントを見出していく・・

 この作品ではドラマの本筋と共に、「1955年」から「2003年」に至る米国における同性愛者の歴史が断片的に挿入されている。ハルは「1955年」に異性愛者との結婚を決意する。彼に偽りの結婚生活を強いたのは一重に、同性愛を病気扱いする当時の米国の社会通念であった。彼は自分の病気が異性婚を通じて治癒されるものと信じ込まされていた。
 その後60年代後半に「クローゼットから出た」同性愛者たちは本格的な権利運動を開始し、彼らを取り巻く社会状況は少しずつ変化を遂げていく。70年代、米国精神医学会は精神疾患リストから同性愛を削除する決定を下し、ディスコ・ミュージックなど「ゲイ・カルチャー」が人気を博し、ハーヴェイ・ミルクに象徴されるゲイの政治家が徐々に増えていった。
 80年代から90年代にかけて、「ゲイのガン」と言われたエイズ問題への対応を通じ同性愛者と異性愛者の連帯が深まり、同性愛を扱ったハリウッド映画やTVドラマが成功を収め、クリントン政権登場を契機に連邦レベルで同性愛者の問題が大きく議論されるようになった。

 ハルが死去する「2003年」は、同性愛者の運動にさらなる追い風となる出来事があった年でもある。この年の6月、連邦最高裁が同性愛行為を禁じる州レベルの獣姦法の存在に対して違憲判決を下したのである。(当時、フルブライト短期研修プログラムに参加するため米国に滞在していた私は、ゲイ、レズビアンカップルたちがこの画期的な判決に大喜びして抱き合う姿に深い感動を覚え、以降この国の「同性愛政治(gay politics)」の展開に関心を抱くようになった。)
 この判決を足掛かりに同性愛者同士の婚姻を認める州が続々と現れはじめ、現在ではコネチカット、アイオワ、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、ヴァーモント、ニューヨークの6州とワシントンDCが同性婚合法地域となっている。

 なかでも先月下旬のニューヨークの事例は、伝統的に同性愛者の権利擁護に消極的な共和議員が過半数を占める州議会で同性婚法案が可決された点で画期的だった。メディアは民主党のクオモ州知事の政治手腕を高く評価した。他方この快挙の背景として、国民意識の急激な変化がある点も見逃せない。
 実は今年に入って、ギャロップその他のいくつかの世論調査で初めて同性婚を認める国民が過半数を超える結果が表れており、しかも調査対象年齢が下がれば下がるほど同性婚への支持率が高くなる傾向が認められている。さらにこんな興味深いデータがある。 
 National Journal誌が民主、共和両党員を対象に実施したアンケート調査によると、共和党員の56%が、党はこの問題の議論を避けるべきと回答し、真っ向から反対の意を唱えるべきと答えた者は30%に留まったというのである。(ちなみに2年前に実施された同じ調査では、この数字は正反対で、前者が37%、後者が50%であった。)同性婚を阻む政治の壁は確実に低くなりつつある。["Gay Marriage Gains Ground Among Insiders,” July 7, 2011, National Journal (online) ]

 こうした同性愛政治の地殻変動に対するオバマ政権の貢献度も大きい。オバマにとって内政課題は経済・財政・福祉政策への対応が急務であり、社会的価値観に関わる問題(social issues)への対応は優先度が低い傾向にある。しかし、この同性愛者の権利問題は例外で、選挙公約通りの成果を挙げつつある。
 なかでも昨年12月、1993年同性愛者米軍入隊禁止法(‘Don’t Ask Don’t Tell’ Act, DADT)の撤廃を連邦議会で可決させたオバマ大統領の指導力は、運動側の信任を得るに十分であった。彼らが求める次の目標は異性婚のみを結婚と定義づけた1996年結婚保護法(Defense of Marriage Act, DOMA)の撤廃である。

 このDOMAにはさまざまな問題があるが、最近こんな報道を目にした。米国在住のレズビアンの日本人が米国人のパートナーと居住地の州法に基づき正式な同性婚手続きを済ませたにもかかわらず、連邦政府が所管する在留資格要件である米国人の配偶者とは認められず、不法滞在者扱いされ強制送還される危機に立たされているという。(7月18日付Sankei Express)
 結婚手続きは州行政の管轄であるが、永住権やビザの発給といった入管・移民業務は連邦行政の管轄であり、同性婚を認めないDOMAが効力を持つ限り、この日本人は伴侶と米国で幸せに暮らすことはできないというわけだ。DOMA絡みの国際同性婚の落とし穴である。

 そんな同性婚をめぐる二重行政状態にも変化の兆候が見え始めている。今年2月、オバマ政権は、司法長官声明として、今後DOMAの違憲性が法廷で争われた場合に政府は同法を支持しないという立場を示した。この声明を受けて民主党議員から同性婚を認める結婚尊重法(Respect for Marriage Act)案が議会に上程され、今月20日、上院司法委員会にてその最初の公聴会が開催された。
 最初の証言者は黒人公民権運動の英雄で民主党下院議員のジョン・ルイスだった。彼は1960年代後半まで存在したかつての異人種間結婚禁止法を念頭に置いて、「2011年という年に、人が愛する相手と結婚できるか否か判断する公聴会や議論の場がなお必要とされていることが私には信じられない」と嘆いた。

 実は同性婚に関するオバマの立場は微妙である。彼は2008年大統領選挙期間中、遺産相続権や養子縁組権など異性婚で保障される権利を同性愛カップルにも与えるシビル・ユニオン(civil union)制を定めた州法には賛成であるが、結婚というステータスを彼らに与えることには否定的であった。彼がDOMAに反対する理由はもっぱら連邦主義、つまり、結婚は基本的に州政府の管轄であり、連邦政府が関与すべきではないという立場によるものであった。
 しかしオバマはこの件に関し学習の途上にあるようだ。前述したDADT撤廃後の記者会見にて、同性婚に関する自分の認識は「常に進化している」し、「(同性婚カップル)の立場からみて(シビル・ユニオン制)が不十分であることも承知している・・この問題は重要であり、これからも議論は継続すべきであるし、個人的には前向きな気持ちでこの問題に対処し続けたいと思っている」と述べ、今後の政府対応に含みをもたせたのである。
 さらにこんなエピソードもある。1996年、彼がイリノイ州の上院議員選挙に出馬した際、地元紙のアンケートに対し書面で「私は同性婚の合法化に賛成し、そのような結婚を禁止しようとする企てには抵抗します」と答えたというのだ。もしこれが事実だとすれば、オバマの同性婚観は「進化」どころか「退化」したことになる。メディアはなぜこの時期にオバマが同性婚に賛成していたのか政権に説明を求めたが、今のところまともな回答が返ってきていない。

 こうしたオバマの姿勢を活動家たちはどう見ているのか。Equality Matters代表リチャード・ソカリデスは手厳しくこう述べる。
「立場が進化していると述べるのは、同性婚に関して賛成でも反対でもないといっているようなものだ。もし大統領が歴史の正しい側につきたいならば、今すぐにこの問題を主導し始めるべきだ。さもなければ、すでにこの問題に関わっている他の進歩派の指導者によっておいてけぼりを食らうだろう」。
 一方、Freedom to Marry代表で「同性婚のゴッドファーザー」エヴァン・ウルフソンの見方は好意的だ。
「我々は憲法で保障された自由と平等の擁護のために立ち上がる大統領を期待している。この結婚の否定に象徴されるように、政府自身がひどい差別の行為者になっている場合は特に国を正しい方向に導く大統領の役割が重要である」。
 さらに彼は同性婚を容認する若者や無党派層の存在を指摘しこうも述べている。
「正しい行為が政治的にも正しい行為になるのは幸せなことだ。オバマ大統領が(思索の)旅を終えて結婚の自由に対し明確な支持表明をするならば、得られるものは多く、失うものはほとんどないはずだ」。(“Pressure Mounts on Obama to Back Marriage,” June 24, 2011, Washington Blade)

 先月11日、私はワシントン市内で開催された「キャピタル・プライド・パレード」を観覧した。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(日本では「性同一性障害者」と病気扱いされる)といった性的少数者(LGBT)たちのお祭りで、今年で36回目を数える恒例行事である。ドラッグ・クイーンやマッチョなゲイメンたちの華やかな行進に混ざって、沿道にいる私の目を引いたのは、「私はゲイの息子を支持します」というプラカードを掲げた母親と「2012年大統領選挙はオバマ・バイデン・コンビに投票します」とアピールするLGBT団体の姿であった。
 人気歌手レディー・ガガの最新ヒット曲でLGBT讃歌のBorn This Wayも聴こえてきた。パレードと観客を隔てるものは一切なく、距離が近いため、私は何度も彼らと直接ハイタッチや言葉を交わすことができた。そこにあったのは、我々の日常を規定するあらゆる境界線を超越した人間同士の心の触れ合いであった。911事件で輝きを失った米国を真の意味で再生させることができるのは彼らなのかもしれない。そう思わせるほど彼らが解き放つ人間パワーは圧倒的だった。

 翻って日本の状況はいかがだろう。私は米国とほぼ同じ30人に1人の割合で日本でもLGBTが存在するものとイメージしている。だが社会的認知や法的権利などあらゆる面で日本は米国よりも立ち遅れ、LGBTの大半は運動どころか、カミングアウトすらままならぬ肩身の狭い生活を強いられている。
 「日本のハーヴェイ・ミルク」レズビアンの尾辻かな子は2003年、大阪府議選に出馬、当選を果たし、4年後の2007年、国政(参議院選挙)にチャレンジしたがあえなく落選した。残念ながら彼女に続くLGBT政治家は生まれていない。米国の例に示されるように、LGBTたちが人間らしい生活を送るには性的多数者の理解と関与は不可欠である。戦争の心理的要因として差別や偏見の存在を理解しているにも関わらず、この問題に関しては極めて保守的な態度を示す日本人は意外と多い。
 人種の多様性同様、性にも多様性があることをまずは知ることが重要である。日本のLGBT事情に関心を持った方は、手始めとしてNHK教育テレビ「ハートをつなごう」が提供する「虹色LGBT特設サイト」にアクセスすることをお勧めしたい。

 さてこうつらつらと記しているうちに、カリフォルニア州の公立学校で「同性愛者の歴史」教育が必須になったという知らせが飛び込んできた。どうやらいじめを理由とするゲイの若者の自殺が昨今相次いでいたことが影響したようだ。州レベルと連邦レベルの相乗効果でかつてないほどの進展を示す米国の同性愛政治からますます目が離せなくなった。この問題に関し、日本人が米国から学ぶべきことがたくさんあることはいうまでもない。                            (2011年7月22日)