資料ナンバー6070
主婦之友附録 1938(昭和13)年11月・12月の銃後献立カレンダー の話  資料班

 だいぶ寒くなってきました。おいしい物も多い季節です。
今回の資料は婦人雑誌の献立カレンダーです。ピースあいちの廊下の壁にコピーを貼ったこともあるので、見たことある方もいらっしゃると思います。1938(昭和13)年の晩秋から年末にかけて、雑誌「主婦之友」が提案している献立はどんな感じでしょう。
 1938年の4月には国家総動員法が出て、国民はいろいろ我慢して戦争に協力しなさい、という空気になってきます。婦人雑誌が、毎日のお献立カレンダーにまでわざわざ「銃後」と付けるのです。
 1日1人前でいくらかかるか、という数字が載っています(9銭から27銭)。12月のカレンダーに、「今月も、特に銃後の献立として、ご飯と調味料、弁当を除いて、1日平均15銭見当にしました。」と、説明が載っています。


 今のカレンダーと違うのは、「日土金木水火月」(12月は「土金木水火月日」)と、右から左へ日付が進むことです。題字も右から左で、「ーダンレカ立献後銃の月一十」となります。祝日には日の丸の小旗を2本交差させた絵がつきます。11月は3日と23日。12月は25日が祝日でした。文化の日と勤労感謝の日とクリスマス、なんですが、当時は「明治節」(明治天皇の誕生日)と「新嘗祭」(天皇が行う収穫祭)と「大正天皇祭」(大正天皇崩御の日)でした。


 カレンダーばっかりではなくてごはんの話もしたいと思います。毎日「朝」「晝」「晩」「辨」と、お休みの日以外は4種類の献立が載っています。晝は昼。辨は弁。弁当のことです。休日は弁当のメニューは載っていません。
 1日の朝はあずきごはん。「毎月1日にあずきごはんを食べる」という風習があったようです。日曜はなぜか朝か昼がパンです。
 朝はおつゆ(大体はみそ汁)と、1品、漬物や佃煮などがつきます。でんぶとか塩こんぶ、ごま塩だけという日もあります。納豆や大根おろしや海苔やしらすなど、朝定食の定番の品の時もあります。1日1品ずつですけど。煮豆や野菜類の甘辛煮の日もあります。
 カレンダーの料理の中で、星印の付いているものは、裏面に作り方が載っています。
裏表で上下反対になっています。台所に貼って上にめくって見られるように作ってあります。


 メニューの中にも、代用メニューというか節約メニューというか、牛肉でなく鰯ですき焼きとか、シチューの豚肉の代わりに兎とか、ひき肉のかわりに鯖か鮭で「間に合わせ」て、肉団子ではなく野菜ボール、というのもあります。
 今あんまり使わないけどこのころはよく使ったんだな、と思ったのは、鯨の肉です。12月6日の夕食の「鯨の南蛮焼」の作り方の所には、「鯨肉を初めて召しあがる方にお勧めしたい料理」という説明があります。鯨になじみのない人もいたようです。牛肉や豚肉の代用として広まりつつあるというような状況だったのかもしれません。


 11月9日の朝食の「かやく飯」(炊き込みごはん)には、「ちょうど季節ですから」って、大根と一緒に松茸を入れています。あと人参と油揚げ。松茸なのに普通のきのこ扱い。別にその日の費用が飛びぬけて高いわけでもないのです。松茸の入っている炊き込みごはんなのに、名前が「松茸ごはん」ではなくて「かやく飯」! ちょっとショック。
 11月19日の昼食の「大根のけんちん煮」の説明。「野菜だけの料理は、なるべく油を使ってカロリーを補うように心がけましょう。」高カロリー推奨です。もうひとつショック、というかびっくりしました。